原子力分野で、我々が明示的にアカウンタビリティに向き合ったのは、チェルノブイリ原発事故の原因の一つを「安全文化」の欠如と指摘する文脈の中でした。
主要な文献である、INSAG-3「原子力発電所の基本安全原則」(1988年)、INSAG-4「安全文化」(1991年)の両方に、以下のように安全文化(セーフティ・カルチャ)の説明として「アカウンタビリティ」が用いられています。
注)INSAG : International Nuclear Safety Advisory Group
「セーフティ・カルチャとは、原子力発電所の安全を担う活動に従事するすべての人々の献身と責任感のことである。」(英文は「情報創庫」参照)
これは、発行当時の正式の翻訳ですが、アカウンタビリティを「責任感」と訳しています。
古い英和辞典では、アカウンタビリティを「責任の強意語」としているので、翻訳はこれでよいのですが、その当時にこの言葉の持つ意味やその重要性がどのように認識されたかはわかりません。
今日では、安全文化の特性を10項目にまとめた、いわゆる「10の特性」が用いられることが多いのですが、その中の1項目がPersonal Accountabilityです。
したがって、アカウンタビリティとは、チェルノブイリ原発事故(1986年)の時代から30年以上使われてきた由緒正しい用語、概念と言えるでしょう。
このように「アカウンタビリティ」は重要な用語ですが、アングロ・サクソン諸国以外では、アカウンタビリティと一対一に対応する言葉はありません。
レスポンシビリティと区別することなく用いられてきたそうですので、我々日本人がこの言葉の持つ意味を十分に理解できないとしても、無理からぬところがあります。
(歴史的背景については、「情報創庫」を参照ください。)
また、ある著書によれば、「言葉自体にあいまいさがあり、カメレオン的(Sinclair,1995)に幾通りにも変化する。」とあります。
出典:「アカウンタビリティを考える」山本清著
我々にとって重要な用語の意味がカメレオン的では困ってしまいますので、アカウンタビリティの意味について、安全文化に詳しいアメリカ人の専門家に聞いてみたところ、次のような回答を得ました。
「英語圏の人に聞いても色々と違ったことを言うだろう。それは普段あまり意識しないほどカルチャーに浸透しているからだ。また、辞書の定義も混乱しているし、辞書そのままの意味ではない。」
要するに、一般用語としてのアカウンタビリティはカルチャーに浸透していて多義的ということなのでしょう。
つづく