民主制における適正手続きによる意思決定(第1回)

2021年01月09日 08:00

アメリカの大統領選挙をめぐる混乱について、ある政治学者の方が新聞記事の中で、「民主主義の矛盾が露わになると同時に再生の芽が出ることを期待する」、というようなことを書かれていました。

この方は、「民主主義」をデモクラシーの意味ではなく、民主的な制度を人道的に運用する「主義(ism)」のようにとらえ、実現すべき理想であるという前提に立っておられるようです。

しかしながら、民主主義というのは、民衆(デモス)の支配(クラティア)のことで、英語ではデモクラシーです。

ウィンストン・チャーチルはデモクラシーについて次のように述べています。

「デモクラシーが完全だとか、全能だとはだれも言わない。実のところ、デモクラシーは最低の統治形態と言われてきた。もちろんそれは、時に応じて試みられたその他の統治形態を除けば、の話であるが。」

この言葉は、イギリス人らしいウィットと皮肉に満ちているので、民主主義が最高のものだというように解釈する人もいるようですが、小生は、最低の中にも程度があるだろうという意味で理解しています。

つまり、しょせんは人がやることだが、制度としては、独裁制、貴族制、神権制などの中では、デモクラシーがいくぶんましだということでしょう。

これは、その前の文章で以下のように書いていることから推察したものです。

「多くの統治形態が試されてきたが、この罪(sin)と悲哀(woe)に満ちた世の中でこれからも試されていくだろう。」

ここで罪(sin)というのは、犯罪のことではなく、宗教的、倫理的にすべきでないことという意味です。

「罪と悲哀」というのは、仏教なら業(ごう)のようなもので、およそ正義の名の下に多くの罪が行われ、悲哀を生みだしてきたのがこの世の実相で、リアリストであるチャーチルは、政治家として2度の世界大戦を経験してこのように述べたものと思われます。

デモクラシーの大国であるアメリカの大統領選挙はあの調子ですし、コロナ禍では多くの人が亡くなっています。

だからといって、デモクラシーよりも極東の某大国のような統治形態が良いと思う人は少ないでしょうから、最低の中でも程度があってデモクラシーの方がいくらかましだと考えると、チャーチルが言ったことがもっともだと思えてきます。

いずれにせよ、統治形態は形にすぎませんから、それ自体が何かの結果を保証するということはありません。

それを動かす人と組織の問題の方が結果に影響していて、似たような誤解は品質保証の世界でもあります。

例えば、品質保証でISO 9001品質マネジメントシステムを導入する場合に、グローバルスタンダードだからとか、このような仕組みが理想であるかのような言い方をする人がいますが、前述の民主主義の話と同じで、それはあくまでも手段、ツールであって、うまく使いこなせばよい結果が出る、ということにすぎません。

原子力界でも様々な制度変更が行われてきましたが、統治形態とかシステムが物事を解決するわけではないという当たり前の前提が、時として忘れられがちになることに注意が必要だと思っています。

以下にチャーチルの言葉の原文を示します。時期的には、選挙に負けて下野し、回顧録を執筆するころのものと思われます。

‘Many forms of Government have been tried, and will be tried in this world of sin and woe. No one pretends that democracy is perfect or all-wise. Indeed it has been said that democracy is the worst form of Government except for all those other forms that have been tried from time to time.…’
By Winston S Churchill, 11 November 1947, Winston Churchill Organization

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