前回、オリンピックとからめて5.15事件をとりあげました。今回はその続きです。
NHK大河ドラマ「東京オリムピック噺」のビデオを再度チェックしてみたのですが、大事なところを見落としていたことに気づきました。
それは、青年将校がピストルを持って乱入した後、射殺シーンになる前に、再度音楽を指揮する田畑政治が約3秒大写しになるところです。
歌詞は「我らが日本の 尊き日本の」というところでした。
3秒というとサブリミナル効果というわけではありませんが、ぼんやりした自分にとっては「結果としてのサブリミナル効果」のようなもので、この場面が妙に印象に残ったのかもしれません。
また、この場面の少し前に、犬養首相が「満州国建国を認めるつもりはない」と言ったことを田畑政治が紹介していることも、この場面の伏線になっています。
以上から、この場面の演出意図は明らかで、演出家は、満州事変の事後処理に対する意見の対立から5.15事件に至る経緯とともに、オリンピックと5.15事件に共通するものとして、大衆のセンチメントを描いていると思われます。
つまり、国威発揚からオリンピック選手を応援することと、無抵抗の老人を射殺した卑劣な犯人に助命嘆願まですることには、大衆のセンチメントに共通するものがあると言っているように感じました。
半藤一利氏はその著書「昭和史」の中の、「戦争をあおった新聞社」という項で、『陸軍の尻馬に乗って「売らんかな」のため「笛と太鼓」で先導した。』と書いています。
田畑政治は当時、朝日新聞の記者でしたし、朝日新聞と毎日新聞(当時は東京日日新聞)は、部数拡大のために満州事変をめぐって大衆を煽り立てたとされています。
そうすると、舞台の上で歌って踊るマーちゃんこと田畑政治は、大衆を煽り立てた新聞社を象徴するとともに、戯画化された当時の日本人の姿にも見えます。
「東京オリムピック噺」の視聴率は良くなかったようですが、アッと驚く秀逸な映像表現が用いられたことは特筆されてよいでしょう。
満州事変から太平洋戦争終結に至る時期を歴史家は15年戦争と呼びますが、近現代の日本の歴史の中で最も暗い時代と言えます。
この時代の動向とデモクラシーとの関係について、歴史学者の成田龍一氏は、以下のように書いています。
『デモクラシーにもかかわらず、戦争の時代を招いてしまったと考えられてきました。しかし、「大衆」の意向に沿うことをデモクラシーの内容としたとき、満州事変以降は「大衆」による排外主義の動きがせりあがってきており、デモクラシーであるがゆえに、戦争の時代に入り込んだということになるでしょう。』
出典:近現代日本史との対話【幕末・維新-戦前編】 成田龍一著
成田龍一氏は歴史をシステムとして見て著書を書いておられます。
大きな出来事が起きる場合、原因は一つや二つということはなく、例えば「太平洋戦争の敗戦」という大きな結末に至るにも様々な要素がからみ合っているため、物事をシステミックに、すなわち全体的にとらえなければ本当のことはわからないし、将来に向けての教訓も反映できません。
明治維新以降の日本の近代化の過程、日清戦争、日露戦争の勝利、大正デモクラシー、経済恐慌といった事象がつながって、敗戦という歴史的結末に至ると考えると、前々回に紹介した小林秀雄の言葉がもっともらしく思われます。
「この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ、起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出たい歴史観は持てないよ。」
今日でも、地球温暖化の問題、コロナウィルス対策、エネルギー問題、原発の事故まで、因果関係は複雑でシステミックなものであり、大衆のセンチメントが一つの方向に動き出した時、簡単に動きを変えることはできず、結果として予測できない結果をもたらすことは心得ておかなければなりません。
歴史好きなもので、つい長くなってしまいましたが、システミックな考え方の背景にあるシステム論については、また別の機会にゆずることにします。