【国際標準化と相互依存の世界】
国際標準というと、普通はISO(国際標準化機構)の標準を言い、仕事上でもISO9001「品質マネジメントシステム」はよく使っています。
原子力の分野では、軽水炉の技術を米国から導入したこともあり、標準としては米国機械学会(ASME)のものが使われてきているのですが、ASMEの場合、正式には「国際的に認知された標準」という言い方をします。
小生もASMEの標準を日本語に訳して、日本の基準にする仕事に関わっていたことがありますが、行政上の告示として定めていると変更が簡単ではなく、良い技術を迅速に取り入れられないという問題が生じてきました。
1990年代の終わり頃には、日本でもASMEにならったやり方に改めようということになり、その一環で日本原子力学会の標準化活動を立ち上げるお手伝いをしました。
以下は、その頃に学会発表した「海外の規格・基準の動向と日本原子力学会の標準化活動」(論文リスト参照)の資料の一部です。
WTO(1995年設立)とは「世界貿易機構」、TBT協定とは「貿易の技術的障害に関する協定」のことです。
この発表でも落語の噺のマクラのようなもので、最初に「えー、東西の冷戦が終結しまして(1989年)、ソビエト連邦崩壊(1991年)となりますと・・・」などと背景説明をやってから原子力学会の標準化活動の宣伝をしていました。
その時は特に冷戦終結等について、それ自体の価値判断をしているわけではなく、話の流れとしてやっていただけで、グローバライゼーションも一般的には良いことだろうと考えていました。
技術的な障壁を無くして、大いに貿易をしていきましょうというTBT協定の精神は方向性としては間違っておらず、相互依存の関係が今回のような紛争の抑止につながることも事実でしょう。
しかし、プーチン氏はエネルギーの相互依存関係を武器のように使っていますので、相互依存も見方を変えれば危険な場合があるということになります。
ロシアのウクライナへの侵攻に伴って、西側の国が経済制裁を発動するに至っては、貿易の技術的障害どころの話ではなく、自由貿易を妨げる大きな「非関税障壁」を作り出しているようで悲しいです。
冷戦終結以降、米国を中心とする西側先進国は、いわゆる「グローバライゼーション」を推進してきており、ISOもASMEもその中で標準化を戦略的に推進しています。
当然ながら、グローバライゼーションは技術的な問題に限りませんから、自由、平等、民主主義といった西欧で発展した価値観や制度についても、西側は何の疑いもなく推進していき、ユーラシア大陸をどんどん東に進んで、ウクライナで壁に突き当たったような気もします。
そうすると、グローバライゼーションも無条件に良いこととは言えず、各当事者の利害、価値観がからむ難しい話だと思えてきます。
その流れでは、最近読んだ佐伯啓思氏の論説が大変興味深かったです。
参考:「歴史の終わり」と「文明の衝突」の帰結 佐伯啓思 Voice 8月号
ここで「歴史の終わり」とは冷戦終結に際してのフランシス・フクヤマの所論であり、「国際社会において民主主義と自由経済が最終的に勝利し、民主政治が政治体制の最終形態であり、安定した政治体制が構築されるため、政治体制を破壊するほどの戦争やクーデターのような歴史的大事件はもはや生じなくなる。そのため、この状況を『歴史の終わり』と呼ぶ。」とされています。
(Wikipediaを参照)
現状を見れば「歴史は終わらなかった」ということでしょうが、デモクラシーを直訳すれば「大衆制度」というほどの意味ですから、以前に紹介したことのあるチャーチルが言ったとおり、運用が悪ければデモクラシーは最低の政治形態にしかなりません。
この話は長くなるので別の機会にして、最後に、前述の資料で紹介した学会発表の頃の思い出を紹介して終わりにします。
学会発表の予稿を見たところ、何の因果か第1回委員会は平成11年11月1日というゾロ目の日でした。縁起をかついだわけではないでしょうが。
その日は初回なので会議の場で委員長選挙をして、小生は重要なミッションとして投票用紙(ただの白い紙)を配って回ったことを思い出します。
中々決まらないで3回も投票を繰り返したので、デモクラティックに行われたことは間違いありません。